まるで数ヶ月の更新を取り戻すかのように更新していますが、
本当はまだ38度熱があって、寝ていなくてはいけないのに、
寝付けなくて・・・
先ほど数時間前、追記にも書きましたが、
父と今日の女子フリーについて議論しました。
というよりも、互いにただ感情的にいい合いをしただけですが。
父はもともとキムヨナが大好きで、
キムヨナはすべてがパーフェクトだと思い込んでいます。
今日も父は「浅田選手はぜんぜんダメ。
ジャンプの失敗をするようじゃもうキムヨナには勝てない。
キムヨナは何をやらせてもすばらしい」
というので、
3Aを入れてもいない選手がどうしてそんなにすばらしいといえるのかわからない
と私がいったら、フィギュアはジャンプだけじゃない、
他の要素もすべてこなすことができて
点数が出るんだ。
男子よりも点数が高くても? といっても、
そんなことは問題じゃない。パーフェクトに滑れるかだけ。
と、ぜんぜん聞き入れてもらえませんでした。
ただこの会話で分かったことは、
結局、私の父は浅田選手が好きではない。
ただそれだけ。これではどうしようもないですよね。
個人の嗜好は変えられませんから。
どうやら父は浅田選手を表現力のない、
ジャンプだけの選手だと思っているようなのです。
そのジャンプだけしかとりえのない彼女がジャンプをミスったので、
もともと表現力のない彼女が、ジャンプをミスってどうする?
もう見る気も起きないと、演技が終わる前に見るのをやめてしまった。
そんな父の態度に心底腹が立ったのですが、
実は、こういうふうに浅田選手を思っている、または勘違いをしている
日本人って多いんじゃないかなとも思いました。
マスコミによる執拗とも言える浅田バッシングも
すべてここに由来しているのではないかと。
2005年浅田選手は得意の3Aを武器に、100年の一度の天才として
華々しくシニアデビューをしました。
GSシリーズを次々と好成績で収め、
オリンピックを翌年に控えたシーズンには、
並み居るメダル候補たちを抑えて優勝。
それにより、彼女をオリンピックへの声が高まりました。
残念ながら、彼女は年齢制限のために出場はできませんでしたが、
彼女の快進撃は続くかのように思われたのです。
しかし、次のシーズンでキムヨナ選手がデビューすると、
東洋人独特の繊細な表現力でセンセーションを巻き起こし、
また、GPFで浅田選手を抑えて優勝してからは、
『表現力のヨナVSジャンプの真央』とマスコミが
まるでプロレスのあおり文句のように、大々的に報道するようになりました。
私の父もどうやらこのマスコミのあおりを真に受けてしまったというか、
『ジャンプ=真央 表現力=ヨナ』という固定観念をもってしまったようで、
その次のシーズン辺りから、
真央ちゃんもヨナちゃんのような表現力を持たなければダメだと
たびたびいうようになりました。
父にいわせると彼女の滑りは優雅なのだそうです。
特に、スパイラルをするときのにっこりと笑うところがいいのだとか。
逆に、父の浅田選手の評価は無表情。すべてが機械的。優雅さに欠ける。
父のいう表現力はすべて『表情』に集約されているようでした。
今シーズンに入っては、あの007の動きが妖艶だと言う始末。
ゥ──σ(・´ω・`;)──ン うちのバカ親父わ・・・
しょうがないですね、ただのスケベ親父と一緒。
世の男性もこんな感じなのでしょう。
ある種の分かりやすさを求めているんでしょうね。
確かにキム選手の表現力とは、その分かりやすさにあると思います。
特にジャッジアピールが上手いんです。
まあ、ぶっちゃけ『セックス・アピール』ですよねwww
まあ、ぶっちゃけ『セックス・アピール』ですよねwww
これは逆に、浅田選手の弱点です。
浅田選手は内に内にこもる傾向がある。表現者というよりも、探求者なんですね。
自分のスケートを極めたいというか。
自分だけの表現を極めればそれでいいと思っている。
しかし、フィギュアは採点競技でもあるので、
ある種の大衆にむけてのアピールも必要なことは確か。
その点では、今回負けてしまったところがあるのかもしれない。
しかし、浅田選手は浅田選手にしかない表現力がある。
エルビス・ストイコも言っていますが、
彼女は『ただすべっているだけで美しい』んです。
あのスケーティングは天性のものです。
よくマスコミはキム選手のスピードのあるスケーティングをほめますが、
浅田選手は、まるで羽が付いているかのように軽やか。
ほとんど滑っているようには見えない。ふわっと浮いて舞っているように見える。
そして、そこからあふれるはかない情感。無垢さ。繊細さ。
あれはほとんど彼女にしか出せないものでしょう。
まさに『幽玄』という言葉がぴったりなのかもしれない。
繊細で、触れれば消えてしまいそうなほどはかなくて、
なのに、ひどく情緒がこもっていて、終わったあとも爽やかな余韻を残す。
まさに日本人が美としてきた『幽玄』がそこにある。
あれはキム選手にも出せない、独特のものだと思います。
残念ながら、そのような軽やかさよりもスピードを重視するいまの採点システムでは、
彼女のスケーティングは評価されなくなってしまいましたが。
これは、プルシェンコにもいえることです。
彼のスケーティングの魅力は、あのスピード。
エッジの使い方はやや浅いものの、
でも、氷にただ刃先を触れただけのようにしか見えない、
軽快なスケーティングは、他の選手ではできません。
ディープエッジを使うのが上手い選手はけっこう多くても、
ああいうスケーティングをする人はまずいない。
エッジのあの氷の乗せ方は、天性のものです。
そして、彼はその特性を生かして誰よりも早い、軽快なステップを生む。
『高速ステップ』と呼ばれる、あの宇宙人なステップはまさに彼ならでは。
だからといって、二人は決して単純に『個性的』というわけではない。
きちんと基礎を踏まえて上での個性となっている。
二人ともコンパルの基礎がしっかりしているんだと思います。
しかし、それでもにっくきかな新採点システム (-"-怒)
いまの採点システムでは、こういう個性的なスケーティングは評価されない。
でも、『幽玄』というものは見る側にもそれを見抜く能力が要求されます。
『玄人』好みといわれればそれまでですが
だけれども、こちらがちょっと注意深くなって見てみればすぐに分かります。
ところが、世のフツーの人は分からないんですね。
父のようにマスコミのいうことをすっかり信じてしまって、
なかなか彼女の表現力を認めようとしない。
今回の『鐘』だって浅田選手があそこまで気迫のあるスケートをしなければ、
ただの単調な、重く、暗い曲に終わってしまう。
しかし、そうならずに終わりに近づけば近づくほど
盛り上がっていくのは、彼女の表現力あってこそだと思います。
私は特に最後のスピンが入る前の、腕を高く上げて、天を仰ぐところがすごく好きです。
なんだか、神に向かって叫んでいるように見えて・・・すごくドラマティックに見える。
ああいう一種のカタストロフィをもたらすことができる人はそうそういないと思います。
そして、あの『鐘』をプルシェンコが滑ったらどうだろうと想像します。
どうしてそもそも彼はタラソワに振り付けを依頼しないのかな?
同じロシア人なのに。
もちろんかつての因縁を知らないわけではないですが、
ヤグの引退もあり、今ではタラソワも彼のことを評価しています。
同じロシア人なのに。
もちろんかつての因縁を知らないわけではないですが、
ヤグの引退もあり、今ではタラソワも彼のことを評価しています。
プルのプログラムはプルグラムにならないと滑れないんだけれども、
でも、たまには別な人が作るプログラムを見てみたい。
タラソワのプログラムなんて、
ヤグディンとはまた違った雰囲気でいいんじゃないのかな~