2010/02/21

《4回転論争》-プルシェンコに対する誤解


悪夢の男子シングルからもうすでに2日がたっているのに、
心のなかのもやもやがまったく晴れません。

プルの演技を見るのがつらくてつらくて
特にフリーは本当に演技をする前から涙が出てしまいます。
いちおう録画をしてあるんですが、一度も見ていません。
あまりにもつらすぎて。

しかし、それよりもつらいのは、
プルシェンコの発言に対する誤解です。
mixiなんかの日記を見てると、そのほとんどが「いいわけするな」とか
「負け犬の遠吠え」とか、そういうネガティブな意見ばかり。
なんだかプルが自分の結果を受け入れず、
「本当は俺のほうが強いのに、ジャッジが悪いから負けたんだ」と思われて・・・。

プルファンではなく、今回のプルの発言がよくないと感じている人は
ぜひ当ブログを読んでいただきたいです。
プルはきちんと「自分の結果を受け入れる」といっています。
だけれども、「いまの採点システムは受け入れられない」と異議を唱えているだけです。

プルシェンコは高い技術を持っています。
無難にプログラムをこなそうと思えば、こなすこともできました。
しかし、彼はそれをあえて拒否し、難度の高いプログラムにしただけです。
よく4回転を二回入れればよかったのに、という意見がありますが、
ライサの4回転のない、3-3の構成が
4回転2回を入れてようやく釣り合うものなのでしょうか?
それほどプルシェンコのスケート技術は低く、
逆に、ライサの技術は高いとでも?
プルはスピンやステップが劣っているから、
もっとジャンプを入れて点数を稼げばいいと。
そのためには、無難な構成で滑るライサよりも
もっと難しいプログラムで滑らなくてはならない?

逆に、ライサのミスのない演技が、プルの生彩を欠いた演技よりも
完成度が高かったから金なのだという人もいます。
『number』の記事はその典型かと思います。
しかし、もしプログラムの『完成度』が採点を大きく左右するのなら、
なぜジョニー・ウィアーの点数は伸びなかったのでしょう?
私はジョニーの演技のほうがずっとすばらしかったと思います。
もちろんライサもすばらしかったけれども、
ジョニーは自分の『世界観』をプログラムに反映させていた。

結局、プログラムの完成度が問題ではないのです。
仏紙にすっぱ抜かれていましたが、
男子シングルが始まる前に
「つなぎの少ないプルシェンコの点数を下げるように」というメールを
アメリカのジャッジが他のジャッジに送ったそうです。

これがすべてを反映していると思います。
そして、パトリック・チャンの異常に高い点数も。

もちろんチャンの点数が高いのは
スケーティングがずば抜けているからだという人もいます。
しかし、スケーティングがすばらしいのは小塚選手も同じです。
私には二人のあいだにはそれほど差があるとは思えない。
むしろ小塚選手のほうがずっと上手いと思っています。
佐藤有香さん仕込みの、
パンにバターを塗るようなすっとなめらかに滑るスケーティングは
チャンのエッジが深く、粘っこいスケーティングよりもはるかに好感が持てる。
好みの問題ですが、でも、結局のところ差はないのです。
では、なぜ点数の差が出るのか。
それはチャンのプログラムの「つなぎ」が異常に多いから。

かつての採点システムではジャンプの比重がやや高く、
そのほかの技術はあまり高く評価されていないので、
いまの採点システムではもっと
スケーティングやスピンをもっと評価していこうという方針でした。

ですが、個人的にスケーティングやスピンの点数が
ジャンプと同程度に評価されているようには思えません。
確かにスピンの技術は向上したかもしれませんが、
その一方で、みなレベルを稼ぐために
同じようなスピンを行うようになり個性が失われました。
また、スケーティングですが、
ディープエッジの使い方のうまい選手
を高く評価するという方針のようですが、
前述のように同じディープエッジの使い手である
小塚選手の点数はあまり高くはありません。
ただ、ジャンプやスピンのあいだにある「つなぎ」が多いと、
異常に高く点数が出る。
というか、ジャッジの評価はそこに重きを置いている。
いや、ほとんどつなぎだけにしか評価をおいているように見えない。

だが、かといってキムヨナの「つなぎ」は多いのかといえばそうでもない。
ジャッジ自ら「すかすか」といっているのに、
スケーティング技術はチャンよりも高いのです。

つなぎの多さはいったいどこで判断するのでしょうか。
プルシェンコはSPで3Aを飛んだ後、
ステップを入れてつなぎにしていましたが、
残念ながら、高くは評価されませんでした。
しかし、3Aのあとにあれだけのステップが踏めるのは、
高い技術がなければできないことです。
つなぎの質が高いとされるチャンでもおそらく入れられないでしょう。
それでも、チャンのほうが上だというのなら、
『質』の高さをいったいどのような基準でジャッジは判断しているのか。
どうしてもそこに主観が入り込むような気がしてないません。

しかも、ジャッジの講習会で
プルシェンコや浅田真央のプログラムを「悪い例」としてとりあげ、
キムヨナやPチャンのプログラムを「よい例」として
とりあげられていたと報道されていましたが、
そこに、どうしてジャッジの「刷り込み」がないと判断できるのか。
悪い例として取り上げられた選手は、
演技が始まる前から、はなからこの選手はよくないという目で見られてしまうのでは?
こんな主観だらけの判定で、いったい何を競うのでしょうか?
『質』を争うというのは、結局その人の主観でしかありません。

『質』をもっととジャッジは言いますが、
本当の意味で『質』を争いたいのであれば、
コンパルソリーを復活させればよいだけです。
アイスダンスはまだあるのですから、
本当にジャッジが『難度』重視の方向から、『質』重視に変えたいのなら、
コンパルを行わせればいいことです。

しかし、彼らはやらないでしょう。
なぜ? コンパルをやれば主観の入り込む余地はなく、
ジャッジは勝たせたい選手を勝たせることができなくなってしまう。

プルシェンコがいうとおりだと思います。
『点数を操作して、勝たせたい選手を作る』
そういうシステムなのです、いまの採点システムは。

そして、彼が怒っているのは、
そういう主観だらけの採点システムなのです。

しかし、ジャンプは別です。
どうしても採点競技はジャッジの主観が入るもの。
ですが、ジャンプは純粋な技術です。
そこに主観の入り込む余地はない。
純粋に難しいジャンプを飛べば評価するし、
飛べなければ、点数を下げる。

旧採点法もたくさんの主観や偏見に満ちていましたが、
それでも100年近く支持されてきたのは、
そういう主観があっても、結局はみなが納得できるところに落ち着いていたからです。
それは結局は『技術』で判断されていたからだと思います。

よく伊藤みどりさんが勝てなかったのは、スタイルが悪かったからとか
『芸術性』に乏しかったからとかいわれていますが、そうではありません。
あの時代、まだ規定という競技があり、それが伊藤さんはうまくはなかったからです。
逆に、カタリーナ・ビットが勝てたのは、規定に強かったからです。
いわゆるコンパルソリーですよね。

そして、プルシェンコに関していえば、
2004年の世界選手権のフリープログラムは
彼はジャンプの前に転倒してしまうというアクシデントがありました。
ですが、結局は優勝しました。
それはジャッジの単なる主観だけではありませんし、
彼が偉大な選手だからだけでもありません。
プルシェンコがプログラムの最初に4-3-2、4T、3A~half loop~3Fという
きわめて難度の高いジャンプを決めたからです。
これは誰もが納得のいく結果でした。



もちろんプルシェンコは『ジャンプ』だけの選手ではありません。
スピン、ステップ、表現力、そのいずれにおいても他を勝っていたのです。
たとえば、スピンは男子では初のビールマンスピンのできる選手でした。
ステップも、高速ステップと呼ばれるほどの速く細かいステップを刻むことができた。
そして、ロシアン仕込みのバレエ風味の、
指先まで神経の行き届いた格調の高い表現力がありました。
また、何よりもプルシェンコは音をとらえるのが天才的に上手かった。
私はいつも彼の演技を見るたび、
足元から音が湧き上がって聞こえてくるように見えるのです。
プルシェンコが音楽にあわせているのではなく、
音が彼に合わせているような、そういう音のとらえ方をしていました。



彼は総合力においてずば抜けた選手だからこそ、
いまの採点システムを批判しているんです。

むしろ、今回のオリンピックで
彼が銀メダルだったことは逆によかったように思います。
これでいまの採点システムのおかしさ、矛盾がわかったでしょうし、
採点システムの最高という議論が進んでいくのではないかと思います。

そういう意味では、プルシェンコの復活は
大変意義のあるものだったと思います。

また彼は復帰をする前から、
男子に『4回転』は必要だと主張しておりました。
今回のオリンピックで負けたから、
ジャンプの点数を高くしろといっているのではありません。

ずっと以前から『四回転』の重要性・必要性を唱えていました。
彼の主張には少しのブレもありません。
皆さんはそういうことを分かって上で、
『負け犬の遠吠え』といっているのでしょうか。

また彼の時代は4回転全盛期でした。
4回転をプログラムに一度入れただけでは勝てなかった。
前のところでも述べましたが、
本田武史氏が言っていたように
「4回転を三回入れても、プルシェンコやヤグディンには勝てるかどうか」
というほどのハイレベルな戦いだったのです。
そして、プルシェンコはそうした過酷な試合で、
常に勝ち続けてきたからこそ、
いまのクワドレスの状況を嘆き、苦言を呈しているのです。

彼によって4回転を飛ぶということは
アスリートとしての矜持そのものなのです。
負け惜しみでもなんでもない。

そういうプルシェンコの主義を理解した上で
反論して欲しいものです。


またgdgdと追記:
私が納得いかないのは
(そして、プル自身も納得していないのは)
プル自身の技術の衰え、
または、ライサのプルを上回る技術によって
彼が負けたからではなく、
ジャッジという魔物に負かされてまったことなんです。
もしプルだって、自分の技術や演技力がライサに及ばなかったのであれば、
こんな風に不満を漏らしたりはしなかった。
だけれども、自分のほうがはるかに技術が上なのに、
技術とは違う、非常に不透明な何かによって
負けたことが許せないと思っているんだと思います。
そして、私もいまだに心のもやもやが晴れないのは、
『絶対王者』であるプルが、
ヤグディンのような選手に負けたことではなく、
何か見えない力に負かされてしまったと感じているからです。