2007/11/26

GOTHとは何か②~(GOTHの源流:サイケデリック・ロック~ネオ・サイケまで)

長らくお待たせいたしました。
ようやく試験も終わり、ひと段落着きましたので、続きを書きたいと思います。

では、我々が『GOTH』と呼ぶ音楽の源流になったものは何か。
これはなかなかに歴史が古く、なんと60年代のサイケデリック・ロックにまで遡ることができます。
サイケデリック・ロックといえば、THE DOORSなんかが有名ですが、
じゃあ、『サイケデリック・ロック』って一体何なの?
ときかれるとこれがなかなかうまく説明できない。そう感じている人は多いかと思います。

サイケデリック・ロックのphychedelic=サイケデリックというのは、
もともとは『心(サイケ)の旅立ち』という意味でした。
その言葉が『幻覚』という意味で広く使われるようになったのは、
1943年、イギリスの製薬会社が偶然ある薬品の製法を発見したことに始まります。
その薬品は『リゼルギン酸ジエルアミド』と呼ばれ、
人間の知覚に多大な影響を及ぼす薬品であることが後に分かりました。

かくして『リゼルギン酸ジエルアミド』略してLSDは、
50年代、欧米の精神医療の分野で利用されるようになり、
主に北米ではサイケデリック療法と呼ばれ、一定の効果を上げたことから、
その名が広がってゆくようになりました。
すごいですよね。ドラッグで治療って…。かえって症状を悪化させそうですが。
とにかく、そのLSDは60年代に入るころには、ミュージシャン達にも服用されるようになります。
もちろん医療法としてではなく、ドラッグの一種としてです。
LSDはその正式名称に酸がつくことから俗称アシッドと呼ばれ、
マリファナと並ぶドラッグの一種としてアーティスト達に一大ムーブメントを巻き起こします。
なんでも服用すると色彩が鮮やかになって、物体が歪んで見えるらしいです。
このドラッグ体験を映像や音にしよう!というのが、『サイケデリック・ロック』なのです。
音楽的特徴はどうかというと、バンドによって多少異なるところがありますが
ここではエフェクトを駆使したエコーのきいた空間的な音作り、という風にしておきましょう。
このぼわっとした多層的で、、意識の遠くところから語りかけるような幻想的な音空間が
これからお話しするゴシック・ロックの重要なキーワードとなるので。

サイケ・ロックは70年代に入るとプログレッシブ・ロックの興隆により一時衰退しますが、
すぐに復活します。
70年代後半にパンクが終わり、
今一度60年代のサイケ・ロックを見直していこうという動きが起こります。
ネオ・サイケ(またはダーク・サイケ)の登場です。
しかし、このネオ・サイケは60年代のサイケデリックとは少々趣を異にしておりました。
60年代のサイケデリックは異世界にトリップすることで
新たな知覚を発見しようとする一種の意識革命であったのに対し、
80年代のネオ・サイケはむしろ現実とは別の異空間にこもることにより、
己の内面を深く見つめていこうとする内省的なものでした。
このように音楽性が変化した背景には、
パンク・ムーヴメントの挫折と密接な関係があるように思います。
UKパンクは、みなさんもご存知の通り、当時のイギリスの社会情勢と無関係ではありませんでした。
二度のオイルショックによる経済不況は、イギリスに高い失業率をもたらしました。
職にあぶれた若者達は街をぶらつくしかほかなく、
その不満の捌け口はどこにも見出せないままでした。
そんな中、彼らのフラストレーションを代弁してくれる音楽が突如ロンドンに現れたのです。
それがセックス・ピストルズやクラッシュに代表されるパンク・ロックです。
しかしながら、そのムーブメントも長くは続くことはありませんでした。
彼らが希望を託した音楽は、何一つ現状を変えることのないまま衰退してゆくことになります。
この現状を変えることができなかった幻滅や失望感、挫折といったものが
若者の心を内側へと向かわせ、沈思黙考できるような静かな音楽を求めるようになったのです。
それがネオ・サイケだったとわたくしは思うわけですよ。
ネオ・サイケの代表的なバンドといえば、エコバニことecho&the bannymenやjoy divisionでしょう。
特にjoy divisionはボーカル、イアン・カーティスの自殺も手伝って
『GOTH』のイメージに多大な影響を与えたことは間違いありません。
特徴的な、スネアのきいたドラムに重厚なベースライン、
暗黒を思わせるエコーのきいた音空間にイアン・カーティスの語りかけるような暗いボーカルは、
ゴシック・ロックの一つの原型を作ったともいえます。
このネオ・サイケが一つの源流となって、やがて次に登場するBAUHAUSが
ポジティブ・パンクという新たなゴシック・ロックスタイルを確立することになるわけです。
ポジティヴ・パンク以降の流れは次回に。