2007/10/12

不快と毒舌を取り違えてはいけない。

「ゴルファー上田桃子ブログ炎上で謝罪」スポーツ‐ゴルフニ�:

yahooのHPを見ていたときに偶然この記事を見つけた。
なんでも上田桃子が「情熱大陸」で発言したことが大問題となり、謝罪したらしい。
実は私もこの番組を見ていた。
私は彼女が例の発言をしたとき、正直「すごいことを言う娘だなぁ~」と思った。
にもかかわらず、さほど不快は感じなかった。
彼女がこう発言したことの裏には、障害を抱えた姉を支えるため
少しでも家計の負担を減らしたいという強い思いがあったためで、
前後の文脈をしっかり分かっていれば、それほど非難されるべき内容ではなかったかと思う。
しかし、それでも彼女には問題があったと思う。

最近、20歳前後の若い才能のある人たちの不用意な発言が目に付く。
沢尻エリカもしかり、亀田兄弟もしかり。
考えてみれば自分とほぼ同世代の子達ばっかなんだけれども、
私達って「自己主張はいいことだ」と教えられてきた世代だから、
自分のスタイルを貫くのがカッコいいとか、より個性的なほうが素敵と感じている人は多い。
多くの人がこれらの若い人たちに非難を浴びせる一方で、
私達の若い世代は逆にかっこいいと思ったりもする。
上田桃子に対してさほど不快感を感じなかったのはそのせいなのだけれども、
でも、毒舌と不快とを取り違えてはいけないと思う。

世の中にはわざと人を非難するようなことを言って大衆を刺激する人もいる。
いわゆる「毒舌家」と呼ばれる人たちだが、
その人たちは 確かに不遜な態度を取ったりするけれども他人に不快感は与えない。
あくまでも世相に対する皮肉を「不遜」という態度や言葉にこめているだけなのだ。
そこにはユーモアがあり、大衆への共感がひそんでいる。
しかし、沢尻エリカなどの発言・態度は明らかに「毒舌」とは程遠いものであり、
他人に不快感を与えるどころか、他人を嘲笑しているようにさえ感じられる。
「自己主張」というより「わがまま」に映ってしまう。
どうやら私達の世代は「自己主張」ということをとり間違えているようだ。
むしろ「自己主張」の真の意味をわかっていないのだと思う。
スポーツ界は競争の厳しい世界であり、より強い自我がないととてもやっていけない世界なんだろう。
ましてや国際レベルの協議だと外国人と対等に渡り合うためには、
必然的に自己を強くしなくてはいけないのも分かる。
それでも、イチローや松井などの選手が果たして上田桃子のような発言をしたことがあったろうか?
やはり彼女たちは若さゆえの未熟さがあったんだと思う。

自分もこのブログを始めて、結構きわどい発言をしたりしているけれども、
時にはあえて挑発的なことを書いているけれども、
自分の書いていることが他人に不快を与えていないか、始終考えている。
まあ、これを読んでいる人はそう思えないと思っているかもしれないけれども。
少なくとも自分なりには考えているつもりです。
たとえ素人が書いているものとはいえ、
そういう自分の書いていること、発言していることに責任が持てないようでは、
人様に自分の発言を読んでもらう資格はないと思うから。

戦後のアメリカ文化の輸入によって、
私達は自由放任とか個人主義とかを謳歌することができるようになったけれども、
いつからか意味を取り違えているようになってしまった。
これを機会に、今一度「自己主張」のあり方を考えてみるべきではないか。

と、私は思うのでした。